2009年01月02日

白洲次郎は日本で一番カッコイイ男

英国仕込みの紳士、白州次郎という人物をご存知ですか。

近年「日本で一番かっこいい男」であったと注目されています。

NHKでもドラマ化され、放送が今年の2月28日(土)に決定しています。

日本で初めてジーンズを履き、ポルシェ911Sを乗り回し、70才代で三宅一生のファッションモデルも務めたりしているダンディーな人物なのです。

歴史的に有名なサンフランシスコ講和会議で、麻生太郎現首相の祖父である吉田茂首相が日本語で行った演説の原稿は、2日前までは英文であったという。

GHQと外務省が用意した英語の演説原稿を、相手方(アメリカ)の言葉で書くバカがどこにいのるかと、吉田首相に日本語で演説するように諫言したのが白洲次郎である。

神戸の裕福な家庭に生まれ、ケンブリッジ大学卒で商社マンであった白洲次郎を、吉田茂は占領軍と日本政府の交渉窓口へと引き抜いたのです。

そして、白洲次郎は「ワンマン宰相吉田」に諫言し得る唯一の側近となるのです。

ケンブリッジ大学時代、白洲次郎は「走る宝石」と言われた名車「ブガッティ」でヨーロッパ中を駆けめぐったというほどの車好きである。

ゴルフも80歳くらいまでシングルを維持するほどの腕前であったらしい。

イギリス紳士道にどっぷり浸り、アメリカ文化を成金文化と見下していた節がある。

「日本は戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」という彼は、「principle」 という言葉を好んで使ったといわれている。

principle は受験英語であり、辞書では「原理、原則、自然の法則、主義、道義、節操」などと訳されているが、要するに「筋の通ったこと」というニュアンスである。

つまり、たとえ戦争に勝った占領軍であったとしても、筋の通らないことは絶対認めないという姿勢を貫いた人である。

昭和史の鍵を握る人物であるにも関わらず、その生涯は歴史の闇の中に埋もれているという。

白洲次郎は1985年85歳で死去する。

夫人と子息に残した遺言書には「葬式無用 戒名不用」と記してあったという。

プロフィール
白洲 次郎(しらす じろう、1902〜 1985年)は、日本の実業家。
終戦直後GHQ支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁(通産省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。
夫人は、作家・随筆家の白洲正子。





posted by toshi at 19:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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