ベストセラー「国家の品格」の著者であり数学者の藤原正彦さんがおもしろいというより、考えさせられる話をしています。
小学生に英語とパソコン教育を言い出したのは、経済人やエコノミストであるという。
導入の理由は、国民が英語を話せないと経済競争から取り残されてしまうらしい。
しかし、世界でもっとも英語の上手なイギリスの経済は戦後ずっと、世界で最も英語の下手な日本の経済とは比較にならない程度のものであった。
このように、英語と経済との因果関係は成り立たないのである。
たとえあるとしても無視しうるほどわずかであり、これが動かぬ証拠であると述べています。
日本経済を引っ張る財界人やエコノミストたちが、英語を流暢に操る必要があるのだろうが。
それを一般国民に押し付けている。ものにならない英語に日本中の子どもたちが膨大な精力を注ぐ、などというのは国家エネルギーの大損失である。
そのエネルギーがあったら、翻訳でよいから東西の古典や名作をふんだんに読んだほうが、はるかに子どもたちの教育に良いというのだ。
日本に住む普通の日本人が、小学生1年から、週に1、2時間英語を学び始め、普通の努力を大学まで続けても、話したり書いたりできるようにはまったくなれない、という冷厳たる事実を経済人やエコノミスト達は知らないようである。
日本にいながら英語を自由にしゃべれるようになるとしたら、英語の勉強が好きでかなりの才能のある人が、普通の人の何倍もの時間をかけ涙ぐましい努力をした場合のみである。
日本人にとってそれほど英語を取得することが難しいのです。
将来、英語を必要とする仕事につきたい人は、中学に入ってから何倍もの時間をかけて勉強しなければならないが、必要としないと思う大半の生徒は、なるべく早い機会に無駄な努力を止めて、東西の古典や名作の読書に力を注ぐべきである。
その方が充実した人間になれるし、充実した人生を送るためにもはるかによいと読書を奨励しています。
小学生でのパソコン教育を言い出したのも主に経済人であるという。
小学校でパソコン教育を始めると、業界にとって大きな市場となる。しかも数年に一度は更新するからである。
恐らく、そのような視点から言い出されたのであろうと推察している。
確かに、「会社でパソコンはできません」は通じないだろう。
しかし、パソコンなどは義務教育では触らせないほうがよいと考える。
小学校や中学校でパソコンなどと触れていたら、日本からパソコンを作る人間やソフトを作る人間がいなくなるではないかと危惧している。
このような人間を育てるには、算数や数学を一生懸命に学ばせ、論理的思考を鍛えおかなければならない。
パソコンを使いこなすだけなら高校や大学からでも、いや社会人になってからでも遅くないと藤原正彦さんが断言しています。
ノーベル賞級のアイデアやひらめきは紙と鉛筆があれば充分であるという言葉をご存知でしょう。
しかし、その前提として読書による論理的思考や深い洞察力が養われていなければ何も生まれません。
posted by toshi at 16:21|
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